他人の著作物の利用はどこまで許されるか:「引用」と「フェアユース」―絶対音感事件等を題材として

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平成21年6月2日

第106回 知的財産権研究会

報告者 小島国際法律事務所

弁護士 豊島 真

第1 絶対音感事件判決

【原 審】東京地裁平成13年6月13日判決(平成12年(ワ)第20058号)

【控訴審】東京高裁平成14年4月11日判決(平成13年(ネ)第3677号、平成13年(ネ)第5920号)

1.事案の概要
X   :本件翻訳台本の訳者。原告・被控訴人
Y1 :書籍「絶対音感」の著者。被告・控訴人
Y2 :書籍「絶対音感」の出版社。被告・控訴人

米国の音楽家であるレナード・バーンスタインは、青少年の教育を目的として解説をつけた音楽コンサートである「Young People’s Concerts」の第1回「What Does Music Mean?」の台本を書いた。バーンスタインの日本における総代理店(その代表者は「C」)は、同台本に基づく日本語によるコンサートを企画し、Xに同台本の翻訳を依頼した。Xは、平成9年ころ、同台本を日本語に翻訳し(以下、「本件翻訳台本」という。)、二次的著作物である本件翻訳台本に係る著作権及び著作者人格権を取得した。本件翻訳台本はワープロによるA4版14頁(約2万字)のものである。

Y1は、平成10年ころ、書籍「絶対音感」(以下、「本件書籍」という。)を執筆し、Y2は、本件書籍を出版した。本件書籍は目次からあとがきまで319頁の単行本である。

本件書籍は、100名以上の音楽家、音楽教育関係者、科学者に対する取材やアンケートその他の資料に基づき、「絶対音感」に関する様々な実話・エピソードを紹介しながら、「絶対音感」というテーマを、多角的に考察したノンフィクション作品である。かかる実話・エピソードの紹介に当たっては、Y1による取材に答える被取材者の言葉の直接の引用や、他の書籍・資料(自伝等)からの引用が多用されている。

本件書籍の「第七章 涙は脳から出るのではない」の「言葉にならない言葉」という章(本件書籍239頁から242頁)は、本レジュメ19頁からの別紙のとおり。このうち、太字の部分が、本件翻訳台本の一部を引用したものである。この引用部分は約2000字である。なお、本件書籍の巻末の「参考文献」のページには、「第七章」の部分に、「レナード・バーンスタイン『音楽って何?』 Young People’s Concert第一巻台本・NHK、CBS(1960)」との記載があるが、Xの名前の表記はない。

本件書籍に、本件翻訳台本の一部の引用がなされた状況は以下のとおり。Y1は、バーンスタインの日本における総代理店の代表者Cを取材した。CはY1に対し、本件翻訳台本を本件書籍に利用することを許諾し、本件翻訳台本をY1に手渡した。XはCに対し、本件翻訳台本を第三者に利用させる権限を与えていなかった。しかし、本件翻訳台本には表紙も翻訳者名(X)の記載もなく、Y1は、Cの許諾があれば本件翻訳台本を本件書籍に利用できると信じ、それ以上に、本件翻訳台本の翻訳者が誰であるかの調査をせず、そのまま本件書籍への利用を行った。

Xは、複製権侵害・氏名表示権侵害を主張し、Y1及びY2を被告として提訴。財産的損害500万円、慰謝料300万円、弁護士費用150万円を請求。原審はYらの引用の抗弁を排斥し、Yらの無過失の主張も退け、請求を一部認容。Yら控訴。Xも、認容額を不服として附帯控訴。

2.争点

(原審)

(1) 引用の適法性
原告翻訳部分の掲載は適法な引用といえるか

(2) 被告らの過失の有無
複製権侵害及び氏名表示権侵害について、被告らに過失があるか

(3) 損害
原告の被った損害額

(控訴審)

(1) 複製権侵害について
原告翻訳部分の採録は、複製権の侵害となるか

(2) 氏名表示権侵害について
本件書籍への原告翻訳部分の引用は、氏名表示権の侵害となるか

(3) 過失の有無について
複製権侵害・氏名表示権侵害につき、被告らに過失があるか

(4) 損害について
原告の被った損害額

3.原審の判断

(1) 複製権侵害について
著作権法32条1項の要件を満たす適法な引用とはいえない。

(理由)

著作権法32条1項は、
「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。」
と、

同法48条1項は、
「――― 著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない。」
と、それぞれ規定している。

・・・ ・・・

(事実認定に続き)「以上の事実に照らすならば、①本件書籍の目的、主題、構成、性質、②引用複製された原告翻訳部分の内容、性質、位置づけ、③利用の態様、原告翻訳部分の本件書籍に占める分量等を総合的に考慮すると、

著作者である原告の許諾を得ないで原告翻訳部分を複製して掲載することが、公正な慣行に合致しているということもできないし、また、引用の目的上正当な範囲内で行われたものであるということもできない(前記のとおり、被告らは、原告翻訳部分の掲載に当たっては、正当な著作者の許諾を受けようと努め、受けられたものと誤信していたのであり、その経緯に照らしても、原告翻訳部分を許諾を得ないで自由に利用できる公正な慣行があったものと認定することは到底できない)。」

(※下線は報告者によるもの。これ以上の具体的なあてはめはなし。)

(2)被告らの過失の有無について
被告らには過失があった。

(理由)

  • 被告らは、調査をすれば、本件翻訳台本を翻訳した者が原告であることを容易に知り得たにもかかわらず、調査を怠った。
  • Cが、本件翻訳台本の掲載につき、許諾を与える権限を有していないことは明らか。Cに確認をしたりCから許諾をもらったことでは過失がないことにならない。

(3)損害について

(3-1)財産的損害
70万円

(理由)

  • 使用料率は10%が相当(本件翻訳台本は二次的著作物ではあるが、構成面である程度の改変が加えられ、また、極めてわかりやすいこなれた言葉が使用されていることを勘案)
  • 寄与割合はページ数に比例(本件書籍の本文部分は319頁、その内本件翻訳台本の引用がされている部分が3頁)

(3-2)精神的損害
20万円

(理由)

  • Xの経歴・実績被引用部分が本件書籍の主題と密接に関連して重要な役割を果たしていること
  • 本件書籍は21世紀国際ノンフィクション大賞を受賞するなど話題を呼び、相当部数が販売されたこと

(3-3)弁護士費用
10万円

4.控訴審の判断

(1)複製権侵害について
複製権の侵害である。

(理由)
著作権法32条1項を根拠に、著作権者の許諾なくその著作物を利用することが許されるための要件は、当該利用が、

①引用にあたること
②公正な慣行に合致するものであること
③報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲で行われるものであること

が必要。

(1-1)引用にあたるか(①)
「引用」にあたるためには、引用して利用する側の著作物と、引用される側の著作物とが、明瞭に区別されていなければならない。

本件書籍中、原告翻訳部分は括弧(「」)で区分され、本件書籍の他の部分と明瞭に区別されているので、「引用」の要件を満たす。

(1-2)公正な慣行に合致するか(②)
引用に際しては、括弧の使用などによる引用部分の区別に加え、引用部分の出所を明示するという慣行があることは、当裁判所に顕著な事実であり、著作権法の目的から、かかる慣行は32条1項にいうところの「公正な慣行」である。

出所を明示したというためには、少なくとも出典の記載が必要だが、被引用著作物が翻訳の著作物である場合は、著作者名(翻訳者名)を合わせて表示することが必要な場合が多い(著作権法48条1項、2項参照1)。

Cは、バーンスタインの言葉を日本語に置き換えた台本を製作し、日本の子どもたちに音楽の素晴らしさを伝えるコンサートを企画している。ここでは、Cの許可を得て、その第一回「音楽って何?」と題するコンサートでバーンスタインが語った言葉の一部を紹介したい。

との記述や、

参考文献欄の

レナード・バーンスタイン「音楽って何?」Young People’s Concert第一巻台本・NHK, CBS(1960)

との記載では、被引用著作物が本件翻訳台本であることを示すには足りないし、いずれの個所にも、翻訳者がXであることは記載されていない。

よって、出所の明示がなく、公正な慣行に合致しているものとはいえない。

(罰則上、著作権侵害の罪2とは別に、出所明示義務違反の罪3が設けられている。よって、出所表示義務は、法律上の義務ではあるが、これを怠ったことをもって著作権侵害が成立するわけではない、とのYらの主張に対し)

出所を明示することが公正な慣行と認められるに至っている場合には、出所を明示しないことにより著作権侵害が成立する。出所明示を励行する目的で設けられた48条1項を理由に、出所の明示が「公正な慣行」ではないとすることは背理。

(1-3)引用の目的上正当な範囲内での引用か(③)
正当な範囲内である。

(理由)

音楽とは何か、人間とは何か、という最終的なテーマと密接に関連し、同テーマについてのY1の記述の説得力を増すための資料として、著名な指揮者・作曲家の見解を引用、紹介したものであり、引用した範囲・分量も、本件書籍全体と比較して殊更に多いとはいえない。(下線は報告者による。)

(2)氏名表示権侵害について
氏名表示権侵害があった。

(3)過失の有無について
過失はあった。

(理由)

本件翻訳台本を作成した者がいることに思いを致し、翻訳者が誰であるかについて容易に調査をし得た。

(4)損害について
原審認定通り。

(理由)

・引用の適法性の要件該当性において原判決と一部理由を異にするが、このことは認容額には影響しない。

・原判決は、当事者の申し立てのない、弁護士費用10万円に対しても、不法行為後の日からの年5分の割合による遅延損害金を認容した。しかし、付帯控訴上の記載内容から、同遅延損害金請求を追加したものと理解ができるため、原判決の認容額は、結論において正当。

第2 絶対音感事件についての考察

1 適法な引用に当たるか否かの、従来の判断基準

パロディ事件/モンタージュ写真事件第1次上告審判決5

「引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならないというべきであり・・・」6

(1) 明瞭区別性
(2) 主従関係

(1)の明瞭区別性については、パロディの場合以外は、あまり判断の難しいものではないだろう7

(2)の主従関係については、分量の比較といった単純作業以上のものが求められてきた。この主従関係につき、東京高裁は、藤田嗣治絵画複製事件8において、「・・・主従関係は、両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点に亘って確定した事実関係に基づき、かつ、当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対し付従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべき」とする。しかし、この主従関係の要件については、多様な考慮要素が詰め込まれすぎてパンク状態にあり、引用要件を再構成すべきだ、といった指摘も本件絶対音感事件の判決が出される前からなされていた9

2 原審

著作権法32条1項と48条1項の条文を引用した後に、認定事実を述べた上で、

「以上の事実に照らすならば、①本件書籍の目的、主題、構成、性質、②引用複製された原告翻訳部分の内容、性質、位置づけ、③利用の態様、原告翻訳部分の本件書籍に占める分量等を総合的に考慮すると」本件の複製・掲載行為は「公正な慣行に合致」しておらず、「引用の目的上正当な範囲内で行われ」たものではない、とする。

これは、32条1項の条文から素直に「公正な慣行」「引用の目的上正当な範囲内」の二要件を検討するものとし、その判断基準として上記①②③を立てたものと解することができる。

ただ、認定事実を、上記①②③にどうやってあてはめたのか、何も述べておらず、あてはめは無いに等しい。非常にあっさりした判断である。

また、被告らが原告翻訳部分の掲載にあたって、正当な著作者の許諾を受けようとしたことを理由として、「原告翻訳部分を許諾を得ないで自由に利用できる公正な慣行があったものと認定することは到底できない」とするが、法律上許諾が必要かどうかにかかわらず権利者の許諾を得ようとすることは実務上珍しくはないところ、そのようなむしろ推奨されるべきともいえる行動を被告らにとって不利に使っているという点でもその理由付けに疑問が残る。

さらに、過失の認定にあたっても、Cが本件翻訳台本の掲載につき許諾を与える権限を有していないことは「明らか」とするが、本当に「明らか」とまで言えるのか。バーンスタインの日本における総代理店の代表者から、表紙も翻訳者名もない原稿を、「使ってください」と渡されたら、むしろCがすべての権利を有していると考えるのが普通ではないだろうか10。通常の一般人を基準とした過失の判断ではないように見える。

3 控訴審

32条1項の判断基準は、

「当該利用が、①引用にあたること、②公正な慣行に合致するものであること、③報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものであること」

①の要件については、引用著作物と被引用著作物とが「明瞭に区別されていなければならないことは・・・当然である」とし、これのみからは、「明瞭に区別」されていることが必要条件であることはわかるが、十分条件であるかはわからない。しかしその後のあてはめにおいて「前に認定したところによれば、本件書籍中において、原告翻訳部分は、括弧で区分され、本件書籍の他の部分と明瞭に区別されているから、「引用」の要件を満たしていることは、明らかである。」(下線は報告者による)としていることからすると、「明瞭に区別」することは「引用」の十分条件でもあると考えていることがわかる。

とすると、この①「引用にあたること」の要件は結局、パロディ事件/モンタージュ写真事件の「明瞭区分性」と同じ要件といえる。

②の要件については、「明瞭に区分すること」及び「出所を明示すること」が「公正な慣行」として挙げられている。すなわち、出所の明示を要求する48条1項の有無にかかわらず、32条1項に基づき適法な引用として認められるためには、出所の明示が必要ということになる。

この点、48条1項に関し、学説では、出所明示義務は適法な引用の要件ではなく、明示しなくとも著作権侵害となるものではないとするものが多い11。出所明示義務を適法な引用の要件であると考えると、出所明示を怠った場合、常に出所明示義務違反罪と著作権侵害罪の両罪の構成要件に該当するように思われる。この場合、両罪の関係を法条競合と考え、著作権侵害罪のみが成立すると考えると、出所明示義務違反罪は存在意義がなくなる。両罪が観念的競合(刑法54条1項)であると考えても、結局より重い著作権侵害罪の刑をもって処断されることになるので、出所明示義務違反罪の「50万円以下の罰金」という刑の存在意義がなくなる12。出所明示を励行する48条1項を理由に、出所明示義務違反の効果が軽くなるのはおかしい、という本件控訴審判決の価値判断には賛成できる部分もあるが、出所明示義務を適法な引用の要件であると解すると、著作権法の罰則規定の体系を上手く説明することができないのではないか。

なお、出所明示がないだけでは著作権侵害にはならないとの立場に従うと、本件では、著作権の侵害はなく、出所を明示する義務を怠ったことによる、氏名表示権の侵害だけが問題となることになることになる。

著作権の侵害はないが出所明示義務を怠ったとする立場と、本件控訴審判決との差は、民事においては損害賠償額の差となって現われてくる。本件控訴審判決では、精神的損害20万円に加え、財産的損害70万円が認容されているが、前者の立場の場合、複製権侵害に基づく財産的損害70万円の部分は認められないことになる13

また、本件控訴審判決は、引用に際しては出所を明示することが32条1項の「公正な慣行」にあたるものであるとした上で、出所の明示の方法についてはケースバイケースで異なり得ることを認めるように見えるが(「・・・特に、被引用著作物が翻訳の著作物である場合、これに加えて、著作者名を合わせて表示することが必要な場合が多いということができるであろう」)、出所を明示すること自体は常に必要であると考えているようにも見える14。本件のような形態での引用以外の場合にも例外を認めない趣旨なのか、明らかではないが、出所の明示が例外なく求められることになるとすると、例えばパロディにおいては出所の明示をするということは通常ないので、パロディが32条1項の要件を満たすことはほとんどなくなってしまうのではないか15

さらに、被告らの過失の有無については、原審のように、「Cが許諾を与える権限を有していないことは明らか」だったなどという極端な認定はしていないものの、結局過失を認定している。上述したように、やや被告らに酷であろうか。

引用の範囲・分量が過大か否か、という点について、原審は、この点を特に独立に論じてはいない。しかし控訴審では、「正当な範囲内」での引用かどうかという要件(③)を独立に検討している。ただ注意すべきは、この「正当な範囲内」かどうかという点は、単に量の問題ではないということである。

原審が、本件書籍の内容にあまり詳しく触れることなく、あっさりと32条1項の要件を満たさない、と認定しているのに対し、控訴審は、本件書籍が扱うテーマ、その考察方法、本文の構成、本件翻訳部分が実際に引用されるに至る導入の仕方、といった点について踏み込んだ認定をしたうえで、「引用した範囲、分量も、本件書籍全体と比較して殊更に多いとはいえないから」引用の目的上正当な範囲内で行われたものと評価することができる、としている。 なお、ここにいう「正当な範囲内」とは、引用の目的を達成するために「必要最低限の範囲内」ということを意味するのか、も問題となる。本件控訴審はこの点をどう考えているのかは明らかではない。ただ、この要件を「必要最低限の範囲内」を意味するものと考えると、裁判所に文学的・芸術的観点からの判断がより強く求められることになる。しかしそのような判断は個人の価値観により大きく異なるものであろう(単にいつ誰がどこで何をした、という事実を伝えるという目的のためならば、そのために必要な文章の量は人によってあまり異なることはないであろうが、引用の目的は単なる事実の伝達に止まらないことが多いであろう。それにより読者や鑑賞者にどのような印象を与えたいのか、ということになってくると、画一的な「必要最低限の範囲」というものを決することは不可能ではないか)。よって、裁判所による判断の難しさという理由から、引用者にはある程度の裁量を与えざるを得ないのではないだろうか16。こう考えることは、単に「正当な」範囲内とのみ定める条文にも沿う解釈だと考える。

3ページ以上にわたる引用部分だけを初めに見ると、「引用」としては分量が多すぎるのではないかとの印象を持つかもしれないが、引用の目的・テーマなどによっては、このような分量にわたる引用であってもなお、32条1項の「引用」として許容され得るということを示したという意味で、本件控訴審判決は意味を持つといえる。

第3 フェアユースが問題となった米国の類似事案

Yらは、控訴審において、「引用の目的上正当な範囲内で行われるものであること」との要件につき、i)使用が目的達成のために必要な範囲内にとどまっているか、ii)権利者に過度の打撃を与えるものではないか、という点を、事案ごとに総合的に判断すべきであり、単純に「主従関係」という判断基準によるべきではないとする。そこではかかる解釈をサポートするものとして、文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約パリ改正条約9条(2)17、著作権に関する世界知的所有権機関条約(WIPO条約)10条18、米国著作権法107条(フェアユース)を挙げている。特に、日本でも導入が検討されているフェアユースについては、米国の事例を検討しておくことが有益と思われるため、ここで紹介することとする。

まず、フェアユースについて定める米国著作権法の条文は以下の通りである。

米国著作権法19107条20

「第106条及び第106条Aの規定にかかわらず、批評、論評、ニュース報道、教育(教室における使用のために複数のコピーを作成する行為を含む)、研究、または調査等のための、コピーやレコードによる複製その他同条に定める手段による利用を含む、著作物の公正な利用(フェアユース)は、著作権の侵害とならない。著作物の利用が具体的事例においてフェアユースとなるかを判断するにあたり、考慮されるべき要素は以下のものを含む-

(1)  当該利用が商業的な性質のものまたは非営利的教育目的のためのものであるかを含め、当該利用の目的及び性質;
(2) 当該著作物21の性質;
(3) 当該著作物全体との関連で、利用された部分の量及び実質性;及び
(4) 当該利用が、当該著作物の潜在的市場または価値に及ぼす効果

上記全ての要素を考慮の上のフェアユースの認定であれば、著作物が未発行であるという事実自体は、フェアユースの認定を妨げるものではない22。」

ただ、アメリカにおけるフェアユースの法理は、上記の条文によって初めて認められるというものではなく、19世紀からの判例の積み重ねで認められてきた法理を明文化したものとされている23。また、条文自体も、「考慮されるべき要素は以下のものを含む」となっており、当該利用がフェアかどうかの判断にあたっては、他の要素を考慮することを否定するものではない。当該具体的状況において、あらゆる要素を総合的に考慮した上で、当該利用がフェアかどうかが判断されるのである。日本の民法1条3項のような一般条項に、ある程度具体的な判断の指針が与えられたもの、ということができるだろうか24

ここでは、書籍における他の書籍からの引用が問題となった事案を紹介する。

Maxtone-Graham v. Burtchaell事件25

(事実の概要)

X:「Pregnant by Mistake」の著者・著作権者
Y:「Rachel Weeping」の著者

1973年、Xの著作による「Pregnant by Mistake」という本が出版された。この本は、望んでいなかった妊娠について語った17人の女性のインタビューから成るものであった。

同書籍は、2349部を売り上げたのち(そのうち約2000部は出版後4カ月以内に売られた)、1982年に絶版。

1978年、Yは「Rachel Weeping」というエッセイを執筆。同エッセイは、妊娠中絶について論じるものだった。「実際の女性の声をそのままの形で載せることが、エッセイの内容の信用性という観点から重要」という理由で、「Pregnant by Mistake」に掲載されていたインタビューを引用。

エッセイ「Rachel Weeping」は60頁、約37,000語から成り、その内約7,000語は「Pregnant by Mistake」掲載のインタビューからの直接の引用だった。同エッセイは、325頁からなる、妊娠中絶に関するエッセイ集(他のエッセイもYによる執筆)に収録されて出版された。

引用された部分の分量は、「Pregnant by Mistake」全体の4.3%だった。

Xは、著作権侵害を主張し、Yを提訴。Yは抗弁としてフェアユースを主張し26、原審裁判所は、Yのフェアユースの主張を認め、Xの請求を棄却する旨の判決27を出した。Y控訴。

控訴裁判所は、以下のとおり、フェアユースの主張を認め、Yの控訴を棄却した。

 

(1)使用の目的及び性質

Yは、「Pregnant by Mistake」から妊娠中絶経験者のインタビューを取り出し、それを、妊娠中絶に反対するという自分の議論を組み立てるという目的で、自分の著作物の中で利用した。なお、「Rachel Weeping」という作品自体の価値や方法論や結論については、裁判において考慮されるべきではない。

「Rachel Weeping」は純粋に非営利の目的で出版されたものではない。しかし、営利目的か非営利目的か、は考慮すべき要素の一つにすぎない。しかも、「Rachel Weeping」については教育目的的要素の側面が、その営利目的要素の側面よりもはるかに大きい。

(2)原著作物の性質

「Pregnant by Mistake」は、ノンフィクション作品の執筆者としての創造的な作業が加わっているが、インタビュー集であり、本質的には事実のレポートである。そのような場合には、比較的より多くの部分を、新たな著作物の創作のために利用することができる。

(3)引用量

どの程度の量までのコピーが許されるかについては、絶対的な基準はない。原著作物の全部のコピーが許される場合もあるし、ほんのわずかの量の引用でも許されない場合もある。フェアユースの判断にあたっては、量ではなく質の観点からの考察も許される。つまり、原著作物の核心部分(the heart)が取られたかどうかという考察である。

本件では、「Pregnant by Mistake」の4.3%を利用した行為28は、フェアユースと両立しないものではない。Pregnant by Mistakeは17人の女性のインタビューから成り、どの部分がコア(core)であるということもできないので、Yは「Pregnant by Mistake」の核心部分(the heart)を取ったということもできない。

(4)市場に対する影響

市場に対する影響は、「フェアユースの成否を決する上では、もっとも重要な考慮要素である」とする連邦最高裁の判決29を引用した上で、本件においては、妊娠中絶に反対するエッセイにおいてインタビューが一部利用されたからといって、「Pregnant by Mistake」の潜在的読者が減ることは考えられないし、むしろ原著作物である「Pregnant by Mistake」への興味を呼び起こすことすら考えられる等の事情から、Xに対する経済的損失の可能性がほとんどないことは明らかであるとした。

第4 その他、フェアユース・引用等に関する日米比較

1 パロディ

(1)米国の事案

 Campbell v. Acuff-Rose Music, Inc.事件30

映画「Pretty Woman」の主題歌、「Oh, Pretty Woman」を、ラップ調のコミカルな歌詞にしたパロディソング「Pretty Woman」につき、フェアユースが問題となった事例。

  • 検討されるべきは、問題となっている作品が、単に原作品を代替するだけのものなのか、それとも原作品に新たな物を付け加えることにより新たな表現をもって原作品を変形させるもの(transformative31)なのか、という点である、とした上で、パロディに供するための利用は、オリジナル作品に対して32コメントや批判をするという社会的に有用な目的のための利用であり、transformativeな価値を有し得るものであると指摘。
  • パロディの場合は、原作品の独創的な部分を利用するのが必然であるから、この点はフェアユースの成立の大きな妨げとならない。
  • 原作品からの利用量については、パロディの場合、原作品の核心部分(the heart)を必然的に取ることになるので、この点がフェアユースの成立に不利に働くわけではない。

と、パロディの有用性を認め、パロディを特別扱いすることを認めている33

(2)日本の事案

(2-1)パロディ事件/モンタージュ写真事件第1次上告審

  主従関係の要件を満たさないことにより適法な引用と認められないということは、「本件モンタージュ写真作成の目的が本件写真を批判し世相を風刺することにあったためその作成には本件写真の一部を引用することが必要であり、かつ、本件モンタージュ写真は、美術上の表現形式として今日社会的に受けいれられているフォト・モンタージュの技法に従ったものである、との事実によっても動かされるものではない。」

(2-2)「チーズはどこへ消えた?」/「バターはどこへ溶けた?」事件34

「パロディーという表現形式が文学において許されているといっても、そこには自ずから限界があり、パロディーの表現によりもとの著作物についての著作権を侵害することは許されないというべきである。」

いずれの判例も、パロディに対して特別の配慮を見せるという考えは示していない。

パロディを特別扱いしないとするとなると、従来の「明瞭区別性」「主従関係」の判断基準に従った場合、パロディが「明瞭区別性」の要件を満たすことは事実上あり得ないのではないかと思われる。また、絶対音感事件の東京高裁の基準に従っても、「引用にあたること」の要件は結局「明瞭区別性」の要件と同じなので、同様に、パロディが「引用にあたること」の要件を満たすことができない(また、出所表示義務の問題もある)。さらにパロディには、著作者の同一性保持権の侵害の問題もある。現状では、著作者・著作権者の許諾無くパロディを合法的に作ることは非常に困難であるように思われる。

ただこの問題は、単にパロディだから優遇すべきだ、という単純なものではなく、著作者・著作権者の権利の保護と、新しい著作物の創造を容易にするということとの、どちらにどの程度重点を置くべきか35、という法政策の問題を含み、慎重な検討が必要であろう。

2 サムネイル/縮小した写真・絵の利用

(1)米国の事案

(1-1)Kelly v. Arriba Soft Corp.事件36

写真家である原告が、インターネットのサーチエンジンを運営している会社を訴えた事件。同社のサーチエンジンでは、検索結果のページに、テキストのみならずサムネイルの表示がされる点に特徴があった。原告は、かかるサムネイルによる表示は、原告の写真に対する著作権を侵害すると主張。一方被告会社は、フェアユースを主張。

控訴裁判所は、フェアユースの4要件の検討中、以下の指摘をし、地裁同様フェアユースを認定した:

  • サムネイルは、元の写真よりも相当に小さく解像度も低い。元の写真は美的鑑賞を目的とするのに対し、サムネイルは、かかる美的鑑賞の対象とはなり得ず、インデックスとしての機能のみを持つ。故に、被告会社がサムネイルを作ることはtransformativeな利用である37。また、サムネイルによるインデックスは、ウェブサーチを利用しやすくするという点で、公共の利益となるものである。
  • 被告会社によるサムネイルの利用により、原告の写真の市場に影響が出ることはない。元の解像度の写真を手に入れようとすれば、ユーザーは原告のウェブサイトに行かなければならない。

(1-2)Perfect 10 v. Google Inc.事件38

会員制のアダルトサイトを運営する原告が、同サイトに掲載されている写真のサムネイルを検索エンジンで表示させていたGoogle社を訴えた事件。フェアユースの論点に関しては、上記Kelly事件と同じものになるが、本件では、携帯電話のユーザーが、Googleのイメージ検索のページからサムネイルをダウンロードすることができるという点が新たな論点として加わった。つまり、携帯電話でダウンロードするための画像はもともと、パソコン用の画像よりも解像度の低い小さな写真であるところ、携帯電話ユーザーがGoogleからサムネイルをダウンロードできてしまうことにより、Perfect10社がそのような低解像度の写真の市場において損害を被ることになるのではないか、という問題である。原審はこの点を問題視し、フェアユースの成立を認めなかった。しかし控訴審は、実際に携帯電話へのサムネイルのダウンロードということが行われていたという証拠は何もないとし39、市場への影響は仮想的なものにすぎないとして、フェアユースの成立を認めた。

(2)日本の事案

(2-1)藤田嗣治絵画複製事件40

「原色現代日本の美術第7巻・近代洋画の展開」と題する美術全集・論文(「本件書籍」)の中に、絵画の複製物12点を著作権者の許諾無く掲載。本件書籍の大きさはB4版(257mm×364mm)、頁数は214であり、複製物のうちカラー図版は特漉コート紙、モノクローム図版は特漉上質紙を用いており、最も小型のもので約8分の1頁、大型のものは約3分の2頁の大きさであった。

東京高裁は、いずれの複製物も美術製に優れ、読者の鑑賞の対象となり得ること、論文の記述とは関係なく鑑賞することができること(絵画の専門家にとっての鑑賞の対象になるか、ではなく一般の読者にとって鑑賞の対象になるか、を検討)、論文を理解するためだけのものとはいえないこと、を理由に、主従性の要件を満たさないと判断した。

(2-2)レオナール藤田展事件41

藤田嗣治(フランス名レオナール・フジタ)の絵画の展覧会において、著作権者の許諾無く藤田の絵画を掲載したカタログを販売。同カタログの大きさは240mm×240mm、紙はアート紙、頁数は143。複製物は、最大のものでページの大きさと同じ程度、最小のもので55mm×80mm、大部分が1頁の半分以上の大きさ、複製枚数113枚、複製頁数89頁。

争点は、著作権法47条の「小冊子」の解釈であったが、東京地裁は、「小冊子」と言えるためには書籍の構成において著作物の解説が主体となっているか、又は著作物に関する資料的要素が多いことが必要で、かつ、紙質・規格・作品の複製形態等により、観賞用の書籍として市場において取引される価値を有するものとみられるような書籍であってはならない、とした上で、本件書籍は実質的にみて観賞用として市場で取引されている画集と異ならないから、「小冊子」にはあたらないとした。

(2-3)バーンズコレクション事件42

ピカソの7つの絵画が、新聞、入場券・割引引換券、観覧者向け解説書、額入り複製絵画として、著作権者の許諾無く複製された。

その内1つの絵画については、新聞の1面左上、「幻のバーンズコレクション日本へ」とのタイトルの4段にわたる記事と共に、カラー印刷で約98mm×57mmの大きさで掲載された。東京地裁は、かかる大きさと記事全体との大きさとの比較、新聞紙という紙質を考慮すれば、同絵画の複製は、著作権法41条にいう「報道の目的上正当な範囲内」であるとした。

その他の絵画については全て、著作権法32条1項、41条、47条の抗弁を否定。なお、32条1項につき、同裁判所は、同条項の趣旨は新しい著作物の創作を目的とするものであるとし、利用する側に著作物性、創作性を要求。入場券はこの要件を満たさないから32条1項の保護を受けられないとした。

以上

1 本判決は、「(著作権法48条1項、2項参照)」としている。あくまでも「参照」であり、48条1項、2項が直接の根拠ではないことに注意。

2 著作権法119条1項。10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金、又はこれらを併科。

3 著作権法122条。50万円以下の罰金。

4  最高裁昭和55年3月28日判決・判時967号45頁。

5 事件当時の、引用について定めていた著作権法30条は、以下のとおり。「既に発行したる著作物を左の方法に依り複製するは偽作と看做さず・・・第二 自己の著作物中に正当の範囲内に於て節録引用すること」

6 この事件は写真著作物の同一性保持権に関するものであり、引用に関する部分は傍論であること、その上、この最高裁判決は引用であることを否定した事例であり、適法引用であるためにはこの二要件だけで十分である、と明確に述べたものではない点に注意を要するとの指摘がある。中山信弘「著作権法」(有斐閣、2007)258頁・注36)。

7 もっともこのような書き方自体、パロディを特別扱いすべきだ、という前提に立っている。パロディについては後述する。

8 東京高裁昭和60年10月17日判決・判時1176号33頁。

9 著作権判例百選〔第三版〕(有斐閣、2001)167頁、上野達弘解説。

10 さらに、本件翻訳台本は無記名の著作物として扱えばよく(著作権法19条2項)、勝手にXの実名を入れて表示すると、逆にXの氏名表示権を侵害しかねないとの指摘もある。岡邦俊「『出所表示』と『公正な慣行』―『絶対音感』事件―」コピライト496号50頁(2002)。

11 中山・前掲261頁(ただし、「形式的には、出所明示義務は引用の要件ではな」いとする。下線は報告者による。)、田村善之「著作権法概説(第二版)」(有斐閣、2003)262頁。

12 行為の1個性について「法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上1個のものとの評価をうける場合をいうと解すべきである」とする最高裁の基準(最高裁昭和49年5月29日判決・判時739号41頁)によれば、出所明示義務を怠るという行為が著作権侵害行為にもあたる場合、行為は1個であり、出所明示義務違反罪と著作権侵害罪の併合罪(刑法45条)ということにはならないだろう。

13 東京高裁平成5年12月7日決定・判時1489号150頁(三国志III事件)は、(著作者)人格権は、第三者の侵害からこれを保護することを内容とするものであり、経済的利益を受けることを直接の内容とする権利ではない、とする。

14 中山・前掲261頁は、「出所明示は法的な義務であり、これに反する公正な慣行が成立することは通常考えられないし、仮にあるジャンルで明示しないということが相当程度行われていたとしても、通常そのような慣行は「公正な慣行」とはいえないであろう。つまりこの判決は慣行という媒介項を通じて、現実には出所明示がなければ引用の要件を満たさないという結論を導いたものに近いと考えられる」とする。

15 もっとも、日本の裁判所は今までのところ、パロディに対して特別の配慮を与えていない。この点は後述する。

16 中山・前掲260頁も、引用する必然性や引用の範囲の必要最低限性といった要件を立てることによる余計な紛争・引用に対する不必要な心理的抑圧を指摘し、「正当な範囲、公正な慣行の問題として処理をすれば足りるであろう」とする。なお、前掲の藤田嗣治絵画複製事件東京高裁昭和60年10月17日判決は、明瞭区別性・主従関係の2要件に拠って判断したものではあるが、「最小必要限度の利用であること」は主従関係の判断において考慮すれば足り、別個の要件とする必要はない、とする。ゴーマニズム宣言事件第一審判決(東京地裁平成11年8月31日判決・判時1702号145頁)も、引用は「引用の要件を充たす限りにおいて、引用著作物の著者が必要と考える範囲で行うことができ」、「引用が必要最小限度のものであることまで要求されるものではない」とする。

17 「特別の場合にかかる著作物(※本条約で保護される文学的及び美術的著作物)の複製を認める権能は、同盟国の立法に留保されるが、かかる複製が当該著作物の通常の利用を妨げず、かつ、著作者の正当な利益を不当に害しないことを条件とする。」

18  「(1)締約国は、著作物の通常の利用を妨げず、かつ、著作者の正当な利益を不当に害しない特別な場合には、この条約に基づいて文学的及び美術的著作物の著作者に与えられる権利の制限又は例外を国内法令において定めることができる。(2)ベルヌ条約を適用するに当たり、締約国は、同条約に定める権利の制限又は例外を、著作物の通常の利用を妨げず、かつ、著作者の正当な利益を不当に害しない特別な場合に限定する。」

19   17 U.S.C.S.§107

20   “Notwithstanding the provisions of sections 106 and 106A, the fair use of a copyrighted work, including such use by reproduction in copies or phonorecords or by any other means specified by that section, for purposes such as criticism, comment, news reporting, teaching (including multiple copies for classroom use), scholarship, or research, is not an infringement of copyright. In determining whether the use made of a work in any particular case is a fair use the factors to be considered shall include-

(1) the purpose and character of the use, including whether such use is of a commercial nature or is for nonprofit educational purposes;

(2) the nature of the copyrighted work;

(3) the amount and substantiality of the portion used in relation to the copyrighted work as a whole; and

(4) the effect of the use upon the potential market for or value of the copyrighted work. The fact that a work is unpublished shall not itself bar a finding of fair use if such finding is made upon consideration of all the above factors.”

21 利用される側の著作物である。

22 日本の著作権法32条1項は、対象を「公表された著作物」に限定している。

23  H.R. Rep. No. 94-1476 at 65-70 (1976)。1976年に初めてフェアユース条項が設けられた。

24 ただ、権利濫用法理は、権利者側(著作権の例でいえば著作権者)の行為態様を問題とするものであり、フェアユースの規定を全面的に代替できるものではないことの指摘がある(中山・前掲311頁)。権利濫用法理を適用したキューピー事件(東京地裁平成11年11月17日判決・判時1704号134頁)や、「やっぱりブスが好き」漫画改変事件(東京地裁平成8年2月23日判決・判時1561号123頁)は、フェアユースが問題となる場面とはいえない。

25   803 F.2d 1253 (2nd Cir. 1986)

26 米国著作権法にも、108条以下に、著作権の制限に関する具体的な条項が置かれているが(例:図書館による複製)、本件のような場合に当てはまる具体的な条項はなく、フェアユースの問題となる。

27 事実認定に争いがなく、陪審による審理に進む前に出される判決であるsummary judgmentによる判決。

28 引用された量が、「Pregnant by Mistake」に対してどのくらいの割合を占めるか、という検討であり、「Rachel Weeping」に対してどのくらいの割合を占めるか、という検討ではない。107条の条文上、利用される量の検討が「in relation to the copyrighted work as a whole」、つまり原著作物全体の量との比較でなされるべきとされていることによる。この点、東京高裁が、「引用した範囲、分量も、本件書籍(「絶対音感」)全体と比較して殊更に多いとはいえないから」と、後の著作物全体の量との比較をしているのとは逆のアプローチである。東京高裁が「絶対音感」全体の量との比較をしたのは、従来の「主従関係」の基準を意識してのことであろうか。

29  Harper & Row, Publishers Inc. v. Nation Enterprises, 471 U.S. 539 (1985)

30   510 U.S. 569 (1994)

31 本判決で使われた「transformative」という語は、その後のフェアユースに関する裁判において、キーワードとして使われており、当該利用がtransformativeな利用かどうか、という点が、フェアユースの成立のための重要な要素となっている。日本語に訳しにくい語であるが、ポイントは、単に原作品をそのまま利用しているものなのか、それとも実質的に新しい作品が創り出されているのか、という点にあるようである。この意味では、日本の従来の「主従関係」の判断要素と、重なり合う面がある。

32 原著作物を利用して、原著作物以外のものを批判・批評しようとするものについては、フェアユースの検討に当たり「パロディ」として扱われないことにつき、Dr. Seuss Enterprises LP v. Penguin Books, 109 F. 3d 1394 (9th Cir. 1997)。

33  本判決は、事件を下級審に差し戻したのみであり、実際にフェアユースが成立するかどうかについては判断していない。

34 東京地裁平成13年12月19日決定(未登載)。

35  「著作権」という言葉は、英語で「copyright」と訳されるが、copyrightとはコピーする権利、つまり元の著作物を利用する側の視点からの言葉である。この語感の違いも、日米両国の著作権法・Copyright lawが著作者/著作権者と著作物を利用する側の権利のどちらに重点を置いているかという差を表しているようにも見える。

36    336 F. 3d 811 (9th Cir. 2003)

37 要は、元の「美的鑑賞の対象となる絵」から、「インデックス機能のみを持つサムネイル」という、別の新しいものが造り出された、ということ。

38    508 F. 3d 1146 (9th Cir. 2007)

39  ではこのような証拠があったらどうなるのか。携帯電話への画像ダウンロードサービス市場への影響という問題は、未解決である。

40 東京高裁昭和60年10月17日判決・判時1176号33頁。

41 東京地裁平成元年10月6日判決・判時1323号140頁。

42 東京地裁平成10年2月20日判決・判時1643号176頁。

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