アメリカの資本主義とリーマン破綻

小島 秀樹

証券と銀行の分離を法制化したのは1929年の大暴落を受けて米国議会が出した有名なペコラ委員会報告書に基づく。この時、フーバー大統領の要請で上院銀行通貨委員会を設置した。ニューヨーク州検事ペコラはこの委員会の法律顧問として大恐慌の原因をなした不正、政策責任者の間違い、株価操縦、インサイダー取引などを1万2千頁に及ぶ調査報告書であぶり出した。その結果成立したのが証券業と銀行業を兼営できないという法規制であった。

米国の制度を戦後導入した日本も同じく証券業と銀行業を分離した。しかし99年に本家米国が規制撤廃すると、グローバリズムの名の下に日本もこれにならった。現在のデリバティブ販売の自由奔放さの一部はこの規制撤廃の流れと軌を一にする。ここで論じているのは新古典派経済学のシカゴ学派が間違っているか否かではなく、規制撤廃して市場主義に軸足を置くなら、競争自体の前提となるルールはより重要性を増すべきではなかったか、という視点である。

更に米国の物づくりからの離脱がある。日米貿易戦争と呼ばれた繊維、鉄鋼、自動車、半導体は1960年代から80年代に亘って我が国メディアの経済ニュースを賑わせた。過去15年位は余り貿易問題は論じられなくなった。低価格の物づくりの強大なライバルの中国の出現が日本の株を奪ったことは事実である。しかしそれ以上に米国自身が物づくりから撤退してしまったことが大きいのではないか。米国経済はITや金融等サービス業に特化していった。デリバティブなど金融工学を駆使した複雑な証券ビジネスに多くの金融機関が参加し、日本の大手銀行も含めて、実体経済と何の関係もないバクチのようなマネーゲームに参加するようになった。私が接したデリバティブ証券は、完全なマネーゲームの世界であり、公序に反するような商品が多かった。また、ビジネススクールで教えたROE優先の経営が問題であった。小さな自己資本で大きな利益を短期間にもたらすことが優れた経営者であると教えている。物づくりは原材料の仕入があり利益率はどうしても低い。結果、彼らが選んだのは仕入がない金融を筆頭とするサービス業である。米国経済は益々物づくりから離れていった。

個々の事案で、弁護士としてリーマンブラザーズと対決したり交渉したりして感じたことを一言で言えば、モラル感覚の欠如である。実体経済と離れてマネーゲームに走ることにより人間は何のための経済かという自己の職業の存在意義を忘却しやすい。エンロンやワールドコム倒産後にできたSOX法という経営者に財務書類の正確性について個人保証させるような規律を強めれば強めるほど、実質的な脱法行為が頻繁に行われた。弁護士としてかかる脱法行為に抗議して米大手IT企業と一触即発の対決をし、SOX法なるものの欺瞞性を垣間見たこともある。

サブプライムローン問題もそもそも証券化できないものを証券化してリスクを認識できなくしたものを売った、という意味でモラルに反する行為である。金融ビジネスに走った米国経済の成れの果てが、リーマン破綻に象徴される米国発世界金融不況である。レベレッジ(一種の信用取引)とかの手法の問題以前に、実体経済との関係が希薄となったマネーゲームが醸成するモラルを著しく欠いた米国の金融資本主義が問われるべき問題なのである。

(実業界2009年1月号所収)

論稿

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